事前放流とは、台風や大雨による洪水が予測される場合に、ダムに貯めてある利水容量の一部をあらかじめ放流して水位を下げ、洪水調節に使える空き容量を確保しておくダム操作である。
ダムは水が貯まっているほど頼もしい——という直感は、治水では逆さまになる。洪水を受け止められるのは「空いている」容量だけであり、満水に近いダムは下流を守れないどころか、流入量をそのまま流す緊急放流(異常洪水時防災操作)に追い込まれやすい。2019年の東日本台風(台風第19号)で既存ダムの治水活用が課題となったことを受け、2020年の出水期から、国は全国の一級水系でダム管理者・利水者と治水協定を結び、発電・水道・農業用といった利水のみを目的とするダムも含めて事前放流を運用に乗せた。降雨の3日前から予測雨量を基準と突き合わせ、超えると見込まれれば放流を始めて空き容量を作る。下流の市町村にとっては、緊急放流に至る確率を下げてくれる上流側の備えであり、洪水調節の役者が治水ダムだけから流域のダム全体へ広がったことを意味する。一方で、放流した後に雨が予測ほど降らなければ貯水位が戻らず、発電や農業用水に損失が出る。この「空振りの損失」を誰がどう埋めるかまで設計したことが、制度を動かした鍵である。
空振りの損失を国が受け止める——利水者が応じられた理由
事前放流は利水者にとって自分の水を手放す操作であり、放流後に雨が降らなければ発電量の減少や用水の不足という実損になる。国土交通省の事前放流ガイドラインは、基準降雨量の設定方法とあわせて、空振りで貯水位が回復しなかった場合の損失補填の枠組みを定め、利水ダムの管理者が協定に参加できる条件を整えた。判断の起点は3日前からの予測雨量であり、外れうる予測に基づいて確実な損失リスクを取るという構図を、補填制度が支えている。2020年度の出水期には一級・二級水系あわせて100を超えるダムで実施され、以後は二級水系の協定締結へと広がった。
治水協定
治水協定とは、事前放流の実施方針や基準降雨量、情報連絡の方法を定めるため、河川管理者とダム管理者・関係利水者が水系ごとに結ぶ協定である。2020年の出水期までに全国の一級水系で締結され、治水目的を持たない利水ダムを洪水前の容量確保に動員する法制度外の運用枠組みとして機能している。
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