京都議定書とは、一九九七年に京都で採択された気候変動枠組条約の議定書で、先進国に対し温室効果ガスの削減目標を数値で義務づけた最初の国際的な取り決めである。
地球温暖化対策を国際的な「義務」として初めて形にしたのが京都議定書である。気候変動枠組条約のもとで、先進国ごとに基準年からの削減率を割り当て、第一約束期間に達成することを法的義務とした。日本は基準年比六パーセントの削減を約束し、これが国内の地球温暖化対策推進法や各種の取り組みを動かす出発点になった。目標達成を助ける仕組みとして、排出量取引やクリーン開発メカニズムといった京都メカニズムが導入され、後のカーボンクレジットの考え方の源流になった。一方、削減義務を先進国のみに課したため、排出量を増やす新興国を縛れない限界が指摘され、その反省がすべての国の参加を求めるパリ協定につながった。歴史的な枠組みとして、現在の脱炭素施策の前提を理解するうえで押さえておきたい。
先進国のみへの数値義務と京都メカニズム
京都議定書の特徴は、温室効果ガスの削減を先進国に対する数値目標として法的に義務づけた点にある。各国に基準年比の削減率を割り当て、複数年の約束期間の平均で達成することを求めた。達成を後押しするため、京都メカニズムと呼ばれる三つの仕組みが用意された。国どうしで排出枠を売買する排出量取引、途上国での削減事業で得た削減量を自国分に算入できるクリーン開発メカニズム、先進国間の共同実施である。これらは、削減を費用の安いところから進める柔軟性をもたらすと同時に、排出量を金銭で取引するという発想を国際制度に持ち込み、現在の排出量取引やカーボンクレジットの原型となった。
限界とパリ協定への移行
京都議定書は重要な一歩だったが、構造的な限界も抱えていた。削減義務を負うのが先進国に限られたため、急速に排出を増やしていた新興国を縛れず、世界全体の排出抑制には及ばなかった。さらに、最大排出国の一つが離脱するなど、参加国の足並みもそろわなかった。第二約束期間には参加しない国も相次ぎ、枠組みとしての実効性が問われた。この反省から、先進国・途上国の区別なくすべての国が自ら目標を掲げて参加するパリ協定へと、国際枠組みの軸足が移った。京都議定書は役割を終えたが、各国に削減を義務として意識させ、市場メカニズムを制度化した点で、その後の脱炭素の流れの礎を築いた取り決めである。
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